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サディストなのは恥? 誇り?

 普通に利用している分には匿名性が確保できることもあって、ネット上で自分がサディストであることを、自慢げに語る人を最近よく見かける。

 リアルでサディストだと名乗るのは、「性格がサド」というならまだしも「性的嗜好がサド」という意味だと、周囲から白眼視されかねない。だから、リアル割れの危険がないネットで、その憂さを晴らすことになるのだろう。

 誤解を招く言い方かもしれないが、私はサディストであることは恥だと感じている。お互いに敬愛し合える人間関係を築けることが、大人の重要な要件の一つだと思うが、SMはそれと正反対の関係だからだ。

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支配と服従

精神の成熟とサディズム

 精神の成熟には、四つの段階があるとされている。

 自分のことしかわからない「初期」、他人の顔色をうかがう「中期」、行動の規範をおのれの内に持つ「後期」を経て、自他の違いを理解・容認し、他人を許し育てることが出来る「成熟した自我」へと至る。

 もちろん、全員が成熟した自我を手に入れる訳ではない。むしろ、中期や後期のままで一生を終える人の方が圧倒的に多い。

 
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支配と服従

めまいと奴隷調教

 すべてのサディストがそうだとは限らないものの、相手が求めているのが「あなたという個人」ではなく、「願望充足が可能なマゾヒスト」であるケースも、世の中には少なからずありそうだ。

 恋愛でいうところの、恋人とセフレの違いに近いものかもしれない。ただ、セフレとは違って、記号としてのマゾヒストが愛奴に変わる可能性もないとは言えない。その意味でも、恋人と奴隷は異質のものだと感じる。

 先日、ヒッチコックの「めまい」をDVDで借りて観た。ストーリー展開はサスペンスドラマの原点ともいえるものだし、多くの映画で使われている「めまいショット」は、ここから始まったらしい。

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支配と服従

サディストのパラドックス

 あなたがサディストで、愛する人がいるとしよう。その場合、最良の選択は、愛する人を奴隷(あるいは従者)にしないことだ。

 対等な人間同士として結ばれ、自分の嗜虐願望を抑圧して生きてゆくことだ。それが、人としての喜びを最大化する賢明な生き方だ。

 しかし、おのれの嗜虐願望があまりに大きくて、支配する対象を持たなければ生きていけないなら、愛する伴侶以外に奴隷を持つのが現実的な解決だ。
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支配と服従

マゾヒストのパラドックス

 このブログが要らぬ世話、大きなお世話ではないかという自覚はある。

 元々の性癖が、マゾである人もいるだろう。自分のイメージするサディストと出会い、その主様によって救われたという人もきっといるだろう。

 しかし、Mの要素もあるけれど、そうした性的嗜好以前にひとりの人間として愛する人を喜ばせたい、喜べる自分でありたい。心にそう思う部分が少しでもあるなら、忘却を強要する地獄の門をくぐらない方がいい。
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支配と服従