Entry Navigation

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
category
スポンサー広告

不可逆な変化

 このブログで書きたいのは、「SMはすべきではない」という主張ではありません。「SMは危険だ」という警鐘です。

 主従の関係がカップルの数だけあるというのは概ね正しいと感じますし、主従だけがSMとも言えないとも思います。だから、ぼくが経験したような事態とは無縁なSさん、Mさんも当然いらっしゃるでしょう。

 マゾヒストの側が恋人としての扱いを望まない場合、主従の関係は安定します。これは、最も根源的な矛盾である「恋愛とSMの相克」が生じないからです。そして、それでいいと言っているMさんが多いことも知っています。

 しかし、直接にお話を伺ってみたり、ブログ等の内容から本音を推し量ってみると、本人が心から納得している訳ではなく、「ご主人様や女王様の側にいたい。だから、奴隷であることを我慢する」という人も少なからずいるように見えるのです。
category
恋愛とSM

切れなくなるスイッチ

 周囲の状況に合わせて、人間は様々な顔を見せる。どれほど豪放磊落がウリの人であっても、例えば天皇陛下の前では普段どおりには振舞えないだろう。特別な思想とかに関わりなく、そうである筈だ。

 そこまででなくとも、家族と過ごす時間と、仕事関係の人と接する時では、言葉遣いや話す内容が大きく異なるはずだ。これは、大人として生きてゆくうえで必要な能力だ。出来ないと損をするし、周囲にも迷惑を掛ける。

 しかし、その人の個性というか、基本的な考え方は変わらない。周囲の環境に合わせて、表現を変えているだけだ。意識して別人を演じたり、人を騙そうとしていたり、解離性同一性障害(多重人格障害)であるなら別だが。
category
日常と非日常

恋愛とSMの違い

 SMにおける最大の相克(矛盾)は、「マゾヒストのパラドックス」や「サディストのパラドックス」で書いたように、「愛する人の主や奴隷になった途端に、あなたが愛した彼または彼女が次第に姿を消し始める」というパラドックスだ。

 相手がサディストとして優れていればいい、美しくて淫らで従順なマゾヒストであれば、それ以上の個性や人格を求めないというなら、この種のジレンマは生じない。むしろ、それは望むところである筈だ。

 恋は混沌としていて、予測がつきにくい。どちらが相手にどんな喜びや影響を与え、どちらが主導権を持ち、どちらがどんな形で相手を支えるか。その展開や役割は流動的であり、理想のありようが一つではないことがそれぞれを鍛え、混沌から人は自分の生き方を学ぶ。
category
恋愛とSM