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- 「矛盾する性欲と志 」 is writed by マスターOB@SM主従関係の相克.
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矛盾する性欲と志
- 2011⁄08⁄09(火)
- 16:27
一方に性欲、征服欲、嗜虐願望などがあり、一方には他人に喜びを与える生き方がしたいという志がある。これらの動機は、同じ価値平面にないとも言える。すなわち、この二種類の精神ベクトルは、互いにねじれの位置にあるとも考えられる。
性欲や征服欲だけで生きている人間がいるならば、問題なくこれらを処理できる。何も悩まなくていい。望むままに果実をもぎ取り、美味なる果肉を味わった後の芯は捨て去ればいい。分け合うことも、人に与えることも、ともに生み出す喜びも必要ないのだから。
だが、多くの人間は正しい在り方に憧れを抱いている。人と睦み合い、良さを活かし合い、喜びや悲しみをともにする生き方をしたいと、自覚のあるなしに関わらず心のどこかで望んでいる。だから、人は苦しむのだ。
性欲や征服欲だけで生きている人間がいるならば、問題なくこれらを処理できる。何も悩まなくていい。望むままに果実をもぎ取り、美味なる果肉を味わった後の芯は捨て去ればいい。分け合うことも、人に与えることも、ともに生み出す喜びも必要ないのだから。
だが、多くの人間は正しい在り方に憧れを抱いている。人と睦み合い、良さを活かし合い、喜びや悲しみをともにする生き方をしたいと、自覚のあるなしに関わらず心のどこかで望んでいる。だから、人は苦しむのだ。
しかし、実際にはこれら二つの想いを持ち続けているサディストは多い。そして、彼らの中でそれぞれの動機は、大きな矛盾なく共存している。この「矛盾がない」という状態には、二つの種類がある。
ひとつは、「マゾヒストとの関係においては、嗜虐欲が喜びを与え合う関係を確立する助けになる」という形での解決。適切な相手を選べば、そして相手がこちらを主者(ご主人様・女王様)と心から認めてくれれば、欲に徹して生きることが良好な関係につながる。
もうひとつは、「SMプレイにおいては嗜虐願望を開放するスイッチが入るが、普段はそれを切っている」という形での解決である。元来、SMは非日常の領域に属するものだから、これはこれで理に適った解決の方向性なのかもしれない。
ひとつは、「マゾヒストとの関係においては、嗜虐欲が喜びを与え合う関係を確立する助けになる」という形での解決。適切な相手を選べば、そして相手がこちらを主者(ご主人様・女王様)と心から認めてくれれば、欲に徹して生きることが良好な関係につながる。
もうひとつは、「SMプレイにおいては嗜虐願望を開放するスイッチが入るが、普段はそれを切っている」という形での解決である。元来、SMは非日常の領域に属するものだから、これはこれで理に適った解決の方向性なのかもしれない。